riona kamei

12回の転職 〜亀井梨穂菜(本名:奈穂子)の半生

  1. 神奈川県横浜市生まれ
  2. 2歳まで埼玉で育つ
  3. その後神奈川県に引っ越し(両親ともに神奈川出身)
  4. 中学は片道1時間かけて鎌倉まで通う
  5. 中学〜大学まで陸上競技部(体育会系)
  6. 新卒で入社3ヶ月目に社長秘書になる
  7. 12回転職し現在はフリーランスで外資系コンサルファーム勤務
  8. 2021年5月『外資系転職キャリア塾』始動

    ※宜しければ下までスクロールして読んでみてくださいね↓

亀井梨穂菜(奈穂子)の生い立ち

小学校時代

早生まれで体が小さかったこともあり

低学年までは大人しく引っ込み思案な性格でした。

それが4年生で塾に通い始めてからは

これまでの自分が嘘のように

活発な性格に変わりました。

「中学受験」という優位性を持てたことで

自信がついたのだと思います。

中学は片道1時間掛けて通学

✔️個性重視

✔️好きなことや得意分野を伸ばす

✔️自分の考えを持積極的に意見を言う

運良く受かった中学校は当時としては珍しく

ディスカッションやディベートも

取り入れた教育方針だった為

授業中も放課後も自由に発言。

在学中はとても楽しく過ごすことができました。

「好きなことを伸ばすと褒められる」のを良いことに

「嫌いなことはやらなくて良い!」と勝手に拡大解釈。

英語が大の苦手だったので、、

クラスメートの帰国子女

(英語のネイティブスピーカー達)にこれはお任せして

わたし自身は英語の勉強を放棄してしまいました。

代わりに私の得意分野である

陸上競技に没頭したのです。

この後、高校だけでなく大学まで

陸上競技部に所属し

「脳みそ筋肉」が自慢の

体育会系気質が形成されました。

就職活動期を迎える

大学の4年生になり就職活動を開始しました。

当時としてはやや遅めのスタートで

GW直前に初めて会社主催の

セミナーとやらに参加してみました。

当時は就職氷河期時代でしたが

夏休み前には簡単に内定を2社貰い

結局3ヶ月程動いただけで

あっさりと就職活動が終了しました。

その間、とある会社のグループ面接で

周りの就活生達皆同じような回答をしている

ことに、わたしは大変驚きました。

学生のわたしが隣で聞いていても

ご自身の実績とアピールポイントが矛盾だらけ

かつマニュアル通りの回答に聞こえたのです。

皆んなが同じような服装で同じような回答、、

あの人達は無事内定を貰えたのだろうか?

この時感じた違和感と疑問

没個性リサーチ不足面接マニュアル は

その後のわたしの転職スキルに生かされています。

そして社会人に。

新卒時の1社目は

「車で通勤したかった」という単純な理由で

郊外型小売業専門店の会社に就職を決めました。

免許を取って新車も購入。

店舗に配属される気満々だったのですが

いきなりの本社勤務で驚きました。

広報兼人事部長付きのアシスタントとして

人事部広報課に配属。

その3ヶ月後に社長室に異動しました。

創業社長かつワンマン経営者の為

その秘書業務は本当に大変ではありましたが

「経営者の視点」「組織がどうあるべきか?」など

社長の長期経営計画書の落書きをファイリングがてら

まとめたり読む機会があり大変勉強になりました。

その後社長室直属の

新規業態プロジェクト部に配置転換。

新規事業を立ち上げる過程を

目の当たりにする幸運に恵まれたのです。

社長は魅力的で

プロジェクトも楽しかったのですが

当時の日系企業特有の社風として

男尊女卑が激しく

学生時代まで性差別をされたことが

なかったわたしは

驚きと共に大変なショックを受けました。

同じ試験を受けたはずなのに

「あなたは女性なので50点減点します」

と言われた気分だったのです。

仕事で創意工夫、努力した

人一倍残業もして頑張った

でも女性なので50点減点される

この構造を理解してしまったわたしは

違うものを目指そうと思いました。

そしてUSCPAの資格試験を取得するのを理由に

最初の会社を3年で退職したのです。

USCPA

それからと言うもの

わたしは、USCPA試験の

試験勉強に打ち込みました。

英語が大の苦手だったのを思い出しましたが

時、既に遅し(笑)。

本番で1問1-2分で解くべき選択問題に

辞書を引きながら1時間以上かけ

時に知恵熱まで出しながら勉強しました。

勉強開始から1年後に

ハワイ州にてUSCPA試験を受験

当然ながら合格には程遠いと悟り、、

たまたま募集していた

米系の投資顧問会社に応募

この会社で1日4時間程度の

アルバイトを始めました。

その後アルバイトから正社員に登用

というラッキーなオファーを頂くことになりました。

この2社目の米系投資顧問の会社では

オフィスマネージャーとして

バックオフィス全般の業務を任され

部下1名を管理しました。

2年程働きましたが

「経理業務を一部任せてもらえる」約束が

なかなか果たされないため退職を決断。

その後、通っていた「資格の学校TAC」の

USCPA講座の講師の方のご紹介で

監査法人にて非常勤契約で働く

幸運に恵まれました。

更に

監査法人の会計士の先生の個人事務所でも

働かせて頂くことになり

同時期に2つの事務所を掛け持つことで

東証1部・2部上場企業の監査業務

経理社員がいないような

小さな会社の月次・年次決算

法人税申告書作成業務を

3年間ほど経験することができました。

その後、

一般事業会社の経理業務に

従事することを決意。

最初の3ヶ月は

派遣契約にて自分が携わったことのない

「売掛金消込み」「支払」業務を

重点的に経験しました。

会計ウーマンとして生きる

次に数をこなすべく

米系不動産投資ファンドにて

SPC会計に携わりました。

取得物件単位で

ペーパーカンパニーを1社設立管理するため、

会社全体で50社程のペーパーカンパニーを管理しており

わたしの担当として

1人で12社分の月次・年次決算業務を担いました。

6ヶ月間で7社分の年次決算まで

こなしたところで次の派遣先に。

「足りないスキルが補えたかな?」と

自分で納得したところで派遣は卒業。

正社員での転職活動を開始しました。

当時のわたしは一般事業会社での

「経理部員としての経験」は1年半程。

しかしながら

月次・年次決算と税務申告、監査の実務経験を有する

というエージェントや企業の採用者から見たら

一体何が何処まで出来るのか?

非常に分かりにくい経歴でした。

しかもこの時点で転職回数が既に7回。。

この時の転職活動は

自分の目指すべき方向性もはっきりと語れず

客観的な視点からの実務経験の説明も下手で

かなりの苦戦を強いられたのを覚えています。

苦戦の末、

米系大手消耗品販売の会社にて

アカウンタントで採用が決まり

晴れて正社員の経理部員として働き始めました。

ところが入社して3ヶ月経たないうちに

私以外の経理部員5名が全員退職し

その更に3ヶ月後には財務部員5名も全員退職。

入社6ヶ月後には部長の次に

私が一番古い社歴の社員になってしまいました。

原因はアメリカ帰りで監査法人出身の部長が

年次決算の締め方も日本の税務知識も皆無で

適切な指示が出せないので

部内が纏まらなかった為なのですが、、

わたしにすれば超ラッキー!(笑)

入社日初日から入っていた買収監査の資料準備で

過年度の法人税や消費税の数字の計算根拠を

会計データから調べて監査法人に説明。

その2ヶ月後に

時期に突入した年次決算

スケジュール、タスク管理、人員割振表

部長に代わり作成。

税理士法人と監査法人の対応も自ら率先して仕切り

部長の代行で年次決算業務を回すことにも成功し

とても有意義な時期を過ごしました。

結果として

アカウンタントというポジションながら

2年分の年次決算と

税理士・監査法人対応、買収監査を

主体的に仕切った経験が身に付きました。

この経験に英語力さえあればマネージャーで転職できる

と確信を得て退職。

その勢いでアイルランドに語学遊学しに行きました。

帰国後に転職活動を開始

人生2回目の失業保険を貰いながら

外国人のエージェントに紹介してもらった案件で

ドイツ系の会社にて

シニアアカウンタントで採用が決定しました。

この会社では

現職のマネージャーが定年退職予定だったため

引継ぎを受けながら業務に従事。

1年後無事マネージャーに昇格し

(ついでに昇給)

5年間同社にて充分な経験を積み

用意周到に引継ぎマニュアルを作成し

更なるステップアップをすべく転職を決めました。

次の会社では

晴れてファイナンスダイレクターの肩書きで

経理財務部門のトップとして

オランダ系の会社に採用されました。

入社して2週間後に

何故かここでも買収監査が入ることになり(苦笑)

年次決算を締めながら

弁護士事務所と本社法務部門とのやり取りが発生。

毎日深夜残業でタクシーで帰る生活を送っていました。

買収監査と年次決算が落ち着いた頃に、

支社長のパワハラが頻発。

他部署のダイレクターや主要スタッフの半分以上が

逃げるように辞め、、

物流が止まり諸々の業務が全く回らなくなり

ついにわたしも退職を決意しました。

ちょうど当時のわたしの1番の興味が

「組織論」と「人材マネジメント」で

その理解と実務経験を積むべく

従業員が沢山いる大きめの組織で働きたいと考え

ドイツ系大手企業のグループマネージャー

として転職しました。

このドイツ系の企業では

通常の経理業務に加え、

部下12人のマネジメントと

業績評価等に従事しました。

パフォーマンスが悪い。と

レッテルを貼られた部下に対する

改善プログラムを作成し実行

人材マネジメントの楽しさや難しさを体験後

社内異動で財務部門にて部下なしマネージャーに。

働きながら通っていた大学院のMBA課程も

無事終了したところで

この会社での当初の目的を

達成してしまいました。

流石に正社員も転職活動も

飽きてしまったため(笑)

フリーランスへの転向を決意。

以降、現在まで

フリーランス及び業務請負契約の形で

外資系の会社の年次決算責任者代行や

IPO準備中の会社の経理業務改善サポート等

コンサルティング業務に従事しています。

外資系転職キャリア塾を始めたキッカケ!

わたしは上記のようにムダに転職回数が多く

転職に関する経験やノウハウが豊富です。

しかも1度の転職で200万円以上年収を上げることも

社内昇進や昇格で年収をあげることも経験しています。

そのため、同僚や友人から

仕事や転職の方法に関する相談を頻繁に受けてきました。

なかでも転職の方法を教えて欲しい

と言うリクエストがとても多く

聞かれたら質問に答える形で対応していたのですが

転職のノウハウとしてきちんと体系立てて

1から10まで説明してあげないと成功しにくい!

と、痛感することが多くなりました。

因みに、わたしの考える成功とは

「1回の転職で最低200万円年収アップ」

です(笑)。

実は一般的なテンプレート通りの職務経歴書では

書類選考を突破できず、

またマニュアル通りの受け答えでは

次の面接に繋がりません。

中途半端な説明では上手く行かない人が多い為

最初から最後まで伴走してあげた方が

効果的な結果が出ると気付きました。

外資系は敷居が高い

感じている人が多いと思うのですが

実はそう難しく考えることはないのです。

30代の頃の私の英語力は決して高い訳ではなく

むしろ英語は苦手。。

頑張って勉強していたUSCPAも受かっていません。

英語力が低く、資格もない私が

何故外資系に行き、次々と年収を上げて

転職できたのか?

そのやり方には秘訣があるのです。

わたしの転職ノウハウを使えば

外資系はブルーオーシャンといえます。

はっきり言って穴場のため

30代のうちに是非挑戦して欲しいのです。

同じ職種でも日系企業に比べてレートが良く

年収は簡単に上がります。

そして狙うポジションによっては

英語力はさほど問われないのです。

(もちろん年収1000万円超えてくると問われますw)

キャリアアップを真剣に考える人を応援したい。

現在の職場でパフォーマンスを上げ

社内でも転職市場でも評価される方法を

伝授して応援したいと思っています。

巷では転職12回は結構多いらしいのですが

自分ではまぁまぁ普通に感じています。

世間一般的には転職回数が多いと

不利になることもありますが

それはやり方、見せ方次第では有利になるのです。

わたし自身、職務経歴書も上手く書けず

面接での説明も上手くできず

転職活動に苦戦した時期もありましたが

自分のゴールをしっかり設定し

市場分析まで出来るようになると

スムーズに活動ができるようになりました。

わたし自身の泥臭い経験から得た

一生使える効果的な転職方法

若いうちに短期間で苦労せずに身につけて欲しい

と思い、

マンツーマン形式の塾という形でこの方法を伝授しよう。

と考えたのがキャリア塾を始めたキッカケとなります。

最後に

ここまでお読み頂きまして有難うございます。

年間10万人」 

何の数字かご存知でしょうか?

日本での介護離者は年間10万人いると言われています。

親の介護が理由で会社を退職。

しかし一度離職すると働いていた会社に復帰するどころか

会社員として社会復帰することでさえ難しくなってしまいます。

親が生きている間は親の年金で生活できますが

問題は親が死んでしまったあと。

退職金は使い果たし、生活費は愚か、

ご自身の老後の資金もないことが多いそうです。

年収が高いことが偉いとは思っていません。

ですが皆さんには若いうちに高い年収で効率よく稼ぎ

自己投資資産形成を早めに始めて頂きたいのです。

年収を上げ、余剰資金で自己投資に資産形成。

更にスキルや年収をあげるべく

勉強をして資格を取るもよし

より働きやすい環境を求めるもよし。

年収が高ければ選択の自由を得て

いずれやってくる両親の介護や

自身の老後に備えることが可能になります。

そもそも外資系の会社は

リモート環境対策が進んでおり

元々在宅ワークが可能な会社が多いのです。

介護離職や介護による経済的困窮への予防

という意味でも高収入、高スキルを得て

若いうちから早めに人生設計を行って頂きたいのです。

わたし自身、要介護4の親がおりまして

コロナで100%在宅介護になってしまったのですが

有難いことにリモート環境でコンサルの仕事を請負い

若い頃に始めた不動産や積立型投資信託などで

資産形成を続けています。

ご自分のキャリアを真剣に考え

早めに人生設計を始めたい。

と考えている方のお力添えになれれば幸いです。

期間限定で個別相談&体験会(Zoom)開催しますので是非来てくださいね!

お会いできるのを楽しみにしております。